現在の鮒田水門と鮒田水管橋の間に、木製の橋「鮒田橋」があったそうです。川は、相野谷川(おのだにがわ)といい、奥の高岡・大里・桐原地区のほうまで続いています。昭和28年9月、台風の影響で橋は流されてしまいました。

川面から出ているのは「亀島」かな…?

昔は、舟に乗って、川を渡っていたそうです。
現在、となりの北檜杖区にて遊覧舟「三反帆」に乗って熊野川を遊覧体験することができます。

農業の機械化が進むまでは、牛が大活躍。欠かせない存在だったそうです。鮒田水門前の「牛鼻神社」は、由緒正しい歴史ある場所として有名です。

トラックがない時代は、熊野川上流にて、木材を筏に組み、鮒田、成川、鵜殿方面へ川を下って運んでいたそうです。
最大の恐怖は、昔も今も変わらず、台風による洪水でした。流木の被害を抑えようと、鮒田に網場が設けるなどの対策が行われる他、浅里では流木量によって費用徴収をする策などの設備改善をした動きもあったそうです。